銭形平次捕物全集

河出書房版全集の例

底本とした河出書房版「錢形平次捕物全集」について:

 河出書房版「錢形平次捕物全集」は、銭形平次捕物控、全383編をすべて収録した唯一の全集です。この全集は昭和31年5月5日から昭和33年1月31日にかけて全26巻が刊行されました。ただし第22巻の発行(昭和32年3月25日)の直後に河出書房は倒産し、昭和32年の10月31日になって再建された河出書房新社から第23巻が発行されて、昭和33年1月31日の第26巻の発行をもって完結したのです。
 新字新かな遣いで表記されていて、全作品が網羅されている全集であるために、今回のプロジェクトでは河出書房版全集を底本としましたが、PDF化のための入力作業を行なっていて、戸惑ったり、悩んだりしたことがたびたびありました。ここではそれらの点について書き残しておこうと思います。

●必ずしも一貫していない表記方法
 河出書房版「錢形平次捕物全集」は月に2巻という驚異的な頻度で発行が行われました。8ポイント活字2段組、約350ページの本を、2週間に一冊のペースで発行するのは、活版印刷の頃の本作りの手番を考えると大変なことです。嶋中文庫版「銭形平次捕物控」の15冊分が河出書房版全集では7冊に収まっているのですが、これをわずか3ヶ月半で発行したのです。
 このような発行頻度ですと、入稿、初校、再校という一連の流れの編集作業をひとつのチームでこなすことはできず、おそらく複数の編集者からなるチームが3、4チームはあったのではないかと思います。ところが複数のチーム間の編集ルールは必ずしも統一されていなかったようで、本ごとの編集方針の差異が目立ちます。
 河出書房版の全集では、同光社磯部書房版の全集に収録されている昭和30年以前の作品については、同光社磯部書房版全集の旧字旧かな表記の作品を新字新かな遣いに変更する手法が採られたものと考えて良いと思います。これは同光社版の全集に見られる誤記が、そのまま引き継がれている例が散見されることからも、まず間違いはないと思われます。
 ところが、ある本では、旧字旧かなの底本から新字新かなに書き改める時に、「逢って見ました」の「見」や、「~して居ると」の「居」は平かなに開かれて「逢ってみました」とか「~していると」のようになっているかと思うと、一方ではすべて漢字表記のままである本があります。また1冊の本の中でも表記法が揺れていることもあります。また、原稿が手書きであったことから、送りがなの表記は同一作品中でもバラバラで統一を欠いている例もあります。
 コピーがなかった頃なので、原稿の複製を作る場合には、手書きで書き写されたものと思いますが、その際の転記ミスや、活字を拾う作業の際に起きたとみられる誤りもあります。
 特に漢字をかなに開く基準が巻によってまちまちなのには、かなり戸惑いを感じました。また、かなに開くことをあまりしていない巻では、漢字表記、あるいはルビを振った漢字表記が非常に多いので、読みやすさと言う点では難点があります。

●差別的な語句や表現
 作者の野村胡堂は明治生まれで、銭形平次捕物控は昭和6年から昭和32年にかけて書かれた作品です。現代とはまったく時代や環境が異なっていることから、身体の障害や人権にかかわる、差別的な語句や表現が多々見受けられます。これも編集作業中にはかなり悩んだ点でした。嶋中文庫版では、かなり差別的語句に関しては表現を改めています。
 先に述べた表記方法の不統一、送りがな表記の揺れなどと、差別的表現や語句をどうするかについては、かなり悩んだのですが、結果的には、基本的に底本に従いました。これは少しばかり手直しをしても、根本的には対処できず、さらに作品によっては、障害自体が作品のテーマや表題になってしまっているので、これを避けようとすると、作品を収録すること自体が不可能になるからです。
 また、いかに著作権(財産権)が消滅しているとはいえ、著作者人格権は死後も侵害できないので、作品を自由奔放に手直しすることはできないのですが、逆に、作品の手直しに関して承諾を得ることも、野村胡堂が逝去されているため不可能なわけです。

●作品掲載順序
 河出書房版全集の特色は、作品の初出年月順に掲載されているということがあります。同光社磯部書房版全集や、嶋中文庫版「銭形平次捕物控」では、作品の掲載順序は初出年月順ではありません。例えば、第1作の「金色の処女」は同光社版全集では第22巻、嶋中文庫では第10巻に収録されています。
 銭形平次捕物控を「金色の処女」から読まなければならないというルールはありませんが、銭形平次捕物控の特に初期の作品では、独身だった平次がお静と結婚し…というように徐々に筋が運ばれていくので、作品の初出年月順に掲載するという河出書房版全集の編集方針にも長所はあると思います。
 ところが残念ながら、河出書房版全集の作品掲載順序は、同光社版全集の「銭形平次執筆年表」に沿っているので、同光社版全集の年表の誤りをそのまま引き継いで本にしてしまったのです。このため、昭和18年から昭和25年にかけての掲載順序は必ずしも実際の初出の順序とは異なっているところがあります。
 ただし、このプロジェクトは、河出書房版全集を電子出版によって再び世に出すという側面を持っていると考えておりますので、敢えて作品の掲載順序の組み換えは行ないませんでした。楽天koboでの電子出版は1作ごとに出していきますので、こちらは今回調査した書誌の順番に変えることも考えています。

●河出書房版全集における改変箇所
 河出書房版全集は同光社版全集を底本として旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改める以外には、ほとんど手を加えていない作品が大半なのですが、多くの作品に渡って手を加えられている事項が一つだけあります。
 野村胡堂は、地方新聞や、これまでに連載したことのない雑誌に銭形平次捕物控を執筆する際には、これまでに必ずしもオール讀物で銭形平次に慣れ親しんでいない読者の存在を意識して、平次と八五郎について簡単な説明を加えることがよくありました。
 たとえば「娘の役目」の冒頭部は、河出書房版全集では次のようになっています。

「八、何んか良い事があるのかい、たいそう嬉しそうじゃないか」
「へッ、それほどでもありませんよ親分、今朝はほんの少しばかり寝起がいいだけで――」
 ガラッ八の八五郎は、そういいながらも湧き上がって来る満悦を噛み殺すように、ニヤリニヤリと長んがい顎を撫で廻すのでした。
「叔母さんから纏まったお小遣でも貰った夢を見たんだろう」

 そころが同光社磯部書房版全集に掲載されている文章は次のようになっています。(新字新かな遣いに変えてあります)

「八、何んか良い事があるのかい、大層嬉しそうじゃないか」
「へッ、それほどでもありませんよ親分、今朝はほんの少しばかり寝起がいいだけで――」
 ガラツ八と異名で呼ばれる八五郎は、そういいながらも湧き上がって来る満悦を噛み殺すように、ニヤリニヤリと長んがい頤をを撫で廻すのでした。
 相手になっているのは、江戸開府以来の捕物の名人と言われた銭形の平次、まだ三十そこそこの苦み走った良い男ですが、十手捕縄を持たせては、江戸八百八町の隅々に、魑魅魍魎のように暗躍する悪者共を番毎顫え上がらせている名題の名御用聞です。
「叔母さんから纒まったお小遣でも貰った夢を見たんだろう」

 青字の部分が、河出書房版ではバサッと削られていることがわかります。このような事例は「遠眼鏡の殿様」「恋文道中記」「八五郎女難」「蔵の中の死」「弱い浪人」など多数あり、この点については河出書房の編集部がかなり徹底して手を入れていることがわかります。
 これは河出書房版全集のかなり特異な点です。同光社版全集のほかにも昭和20年代には講談社「長篇小説名作全集1」などさまざまな本がありますが、このような改変はおこなっていません。おそらくこの差異は、全集を作る上での前提となる考え方の違いに根ざしているものと思われます。同光社版全集などは、銭形平次捕物控の作品を集積するという考え方なのに対して、河出書房版は一連の読物として捉えているのではないでしょうか。そうであれば唐突に平次と八五郎の紹介が、いまさらのように繰り返されるのは、いかにも奇異であるからです。
 なお、個々の作品において、同光社版全集に対して大がかりな改変を加えているものには、「夕立の女」があります。これはサンデー毎日への初出時に、野村胡堂が二人の女性の登場人物の職業を思い違えて記述してしまったのを、河出書房版では矛盾のないように直したためです。



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