銭形平次捕物全集

銭形平次捕物控の初出誌調査状況(その1):

 今回のPDF版全集を発刊するのに際して、初出が判っている本は、すべて初出誌の現物確認を行なうこととしました。また、それに伴って、これまでの全集や傑作選などに記載されている書誌の正確性のチェックと、従来の書誌で「不明」とされていた作品の調査を行ないました。結果的には 初出誌が不明な作品は「娘の役目」「お此お糸」「一番札」「嵐の夜の出来事」「蔵の中の死」の5編が残っていて、初出誌が新聞広告で確認できていても収蔵図書館が見つからず、現物確認ができていない作品は「鍵の穴」があります。これらを含めて、これまでの書誌に修正を加えるべきと思われる作品につき、調査状況をまとめておきます。筆者の力量の不足から、まだまだ見落としたり誤解しているものもあるかと思いますので、もし何かございましたら遠慮なくご指摘を願います。

●中央公論社「錢形平次捕物百話」書下ろし9作品
 中央公論社の「錢形平次捕物百話」に書下ろされた作品は9編あります。まず「死相の女」が昭和14年5月25日発行の第7巻に掲載され、「金の茶釜」と「百物語」が6月28日発行の第8巻、「南蛮仏」「忍術指南」「許嫁の死」「紅筆願文」「お篠姉妹」「ガラッ八祝言」の6編が8月5日発行の第9巻に掲載されました。したがって本の発行日を基準に考えれば、オール讀物昭和14年5月号に掲載された「不死の良薬」の次が、「百話7巻」の「死相の女」になり、その次がオール讀物6月号の「百四十四夜」、次が「百話8巻」の「金の茶釜」と「百物語」、その次がオール讀物7月号と8月号の「禁制の賦」「笑い茸」、その後に「南蛮仏」等の6編が続くことになります。


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●棟梁の娘
 河出書房版全集では昭和18年の書下ろしとなっていますが、この当時の出版界の状況から見て、書き下ろしの単行本が出されたとは考えにくい上に、この作品には「スタート」「コーチ」の英単語が出てきます。昭和18年には敵性語排斥からオール讀物も「文藝讀物」に改題していたくらいで、野村胡堂も銭形平次捕物控への英単語の使用を控えていましたから、この作品が昭和18年の初出とはかなり考えにくいのです。また戦中期の作品を丹念に集めた杜陵書院の「百話以降錢形平次捕物全集」にも収録されておらず、この作品が収録されたのは昭和25年1月25日発行の講談社「長篇小説名作全集1」です。このことから掲載が現物確認できている月刊讀賣秋季臨時増刊(昭和24年9月20日発行)が初出誌であると見て良いと思います。また、発行元も讀賣新聞社ですから、再録作品でお茶を濁すというようなところではありません。

●娘の役目
 河出書房版全集では昭和19年の書下ろしとなっていますが、おそらく昭和19年から昭和20年にかけて発行された軍の慰問雑誌に掲載された作品であるものと筆者は推定しています。昭和22年2月20日に発行された杜陵書院「百話以降錢形平次捕物全集」第1巻に掲載されていますので、昭和21年以前の作品であることも確実です。詳細は「お此お糸」の項目で詳しく述べます。

●風呂場の秘密
 河出書房版全集では昭和19年の書下ろしとなっています。この作品には英単語は出てきませんが、杜陵書院の「百話以降錢形平次捕物全集」には収録されておらず、昭和25年1月25日発行の講談社「長篇小説名作全集1」に収録されているのは、「棟梁の娘」の事例と共通しています。このことから掲載が現物確認できている讀物時事昭和24年9月号が初出誌であると見て良いと思います。また、発行元は時事通信社ですから、再録作品とは考えにくいです。旺文社文庫「随筆銭形平次」の書誌には讀物時事昭和24年9月号となっていますが、これを正として良いと思います。


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●お此お糸
 筆者の手許に古書店で偶然に購入した「錢形平次捕物控 外数篇 明朗読物集」昭和21年2月5日発行、発行所はアカツキ書店という四六判の小冊子があります。この本は非常に変った本で、前半は「名馬罪あり」「幻の民五郎」と銭形平次の作品集なのですが、途中からページがいきなり飛んで、42ページの裏側は132ページとなって、そこには宇井無愁の「タンクの足」という明朗小説があり、150ページに中一弥の挿絵による「お此お糸」が載っているのです。
 目次はなく、そのかわりに小さな紙片が貼ってあって、「此読物集ハ都合ニヨリ四二頁ヨリ一三一頁マデヲ欠頁ト致シ、主要読物四篇ト小話数篇ヲ以テ一冊ヲ完成致シマシタ次第デス。」と印刷されています。そもそも「錢形平次捕物控 外数篇」の「外数篇」という表題からして普通ではありません。また空きスペースには「軍人たる者毎朝必ず勅諭を拝誦し・・・陛下に忠実なる軍人たることを期すべきなり」という乃木希典の訓示がのっていて、さらにご丁寧なことには、この乃木大将の言葉の部分には、検閲を恐れてか、上から紙が貼られて隠されていた形跡が残っているのです。また詰将棋の回答なども載っていて、オール讀物のような娯楽雑誌の体裁なのですが、広告は一切ありません。
 おそらくこの本の後半は戦時中の慰問雑誌の紙型を流用して作ったものではないかと筆者は考えています。「タンクの足」という小説や乃木希典の訓示が終戦直後に出版された本に載ったとは思えません。四六判の本なので、慰問雑誌とっても陸軍の陣中倶楽部、海軍の戦線文庫のように、よく知られているB5版の本ではありません。陣中讀物のような小型の慰問誌ではないかと考えていますが、確認できていません。
 また、「お此お糸」の表題には「銭形平次捕物控の内(第二話)」と記載されています。つまりこの本では連載の第2話であることが分かります。このことから、この本の連載の第1回目が「娘の役目」であったろうと思われるのです。なお、「お此お糸」と「娘の役目」は共に昭和22年2月20日に発行された杜陵書院「百話以降錢形平次捕物全集」第1巻に掲載されています。
 この「お此お糸」の挿絵画家は中一弥ですが、中一弥はオール讀物では「矢取娘」(昭和16年7月号)から文藝讀物の最終号(昭和19年4月号)の「八千両異変」までの期間を担当していますので、文藝讀物の停刊直後に出された本であることが裏付けられているように思われます。


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●閉された庭
 一連の書誌で、東北文庫、昭和21年と表記されていて、これ自体は誤りではないのですが、同光社、河出書房の全集の書誌では、昭和21年の欄には、二つの刺青(オール読物10月号)、酒屋忠僕(オール読物12月号)、娘と二千両(東北文庫)、閉された庭(東北文庫)、幽霊の手紙(月刊西日本8月号)の順番で掲載されています。(右写真)
 で、この表記のされ方が、この書誌を参照した評論家や研究家などの誤解の元になっていて、その誤解が今では一種の定説のような状態にまでなっているのです。その誤解とは、「戦時期に中断した野村胡堂の銭形平次捕物控の、戦後の再開は昭和21年10月号のオール読物の二つの刺青からである」というものです。
 でも書誌を注意して見るだけでも、オール讀物10月号よりは月刊西日本の8月号の方が早いことがわかるのですが、さらに調べてみると、東北文庫に銭形平次捕物控が掲載されたのは、昭和21年1月の東北文庫新年号(創刊号)での「閉された庭」であることが分かります。雑誌の1月号は実際には前年の12月には発行されるのが出版業界の慣行で、発行日が「昭和21年1月1日」となっていても、書店に並ぶのはその前なのです。この本の奥付を見ると「昭和二十年十二月二十五日印刷納本」となっていますので、昭和20年の年末には盛岡市内の書店にこの本がならんでいたことでしょう。「閉された庭」こそが、野村胡堂の銭形平次執筆再開の嚆矢となる記念碑的な作品であるわけです。
 銭形平次捕物控の執筆再開が終戦からわずか数ヶ月の昭和20年末であったこと、さらにその執筆再開が、岩手県の地方新聞である「新岩手日報」を出していた新岩手社(現在の岩手日報の前身)が創刊した月刊誌の「東北文庫」であったというのは、野村胡堂が岩手県出身であることを考え併せると、非常に重要なことがらであると思われますし、もっと注目されて良いことでしょう。
 さらに、戦時中にオール讀物が停刊となるまでは、野村胡堂は「最初の内は節操堅固でオール一本槍に続け外の雑誌へは絶対に書かないことにし、その代り池田大助という新しい捕物帳を書いたこともある」(銭形平次半生記、文藝春秋昭和31年6月号)と記しているように、銭形平次はオール讀物だけに掲載されていました。(河出書房版全集が、同光社版の初出誌の「不明」を、すべて「書下ろし」に改変してしまったのは、この「他の雑誌へは絶対に書かない」というエピソードによるのかもしれません)
 このルールは文藝讀物の停刊後に、おそらく慰問雑誌と思われる本への「お此お糸」などの執筆で破られるのですが、さらに戦後になって、東北文庫、月刊西日本に、オール讀物復刊以前に作品が掲載されたことによって完全に崩れたのです。このあと昭和20年代には、おびただしい種類の雑誌や新聞に銭形平次は掲載されたのですが、その嚆矢となった東北文庫の存在の意味は大きいでしょう。


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●神隠し
 同光社版全集ではオール讀物昭和17年10月号となっていて、それが河出書房版全集では昭和22年10月号に手直しされ、さらに「国民の文学」の大衆文学研究会による「野村胡堂年譜」に引き継がれています。旺文社文庫「随筆銭形平次」の書誌では、これが昭和21年11月号に訂正されました。結果的にはこの昭和21年11月号が正解です。
 実際にはオール讀物昭和17年10月号には銭形平次捕物控は掲載されていません。珍しい欠号の一つです。また昭和22年10月号には実際には「お登世の恋人」が掲載されています。では河出書房版で「お登世の恋人」が掲載されたと書かれている昭和23年2月号はどうなのかと言えば、やはり銭形平次は掲載されていない号なのです。
 同光社版全集、河出書房版全集の誤りは、オール讀物に銭形平次が掲載されていない号をめぐっての混乱であるわけですが、編集者が現物確認をせずに、勝手に類推、決め付けをしたことが歴然としているので、これはかなりタチの悪い仕事ぶりなのです。
 今回、銭形平次捕物全集の電子版刊行に伴って、全初出誌の現物確認を行ったのは、一つには底本の河出書房版の誤植などを、初出誌に遡って調べるための下準備が理由ですが、もう一つは同光社版全集、河出書房版全集の書誌作成の仕事ぶりが、かなり劣悪であるため、「全面的に信用に値しない」との態度で臨まざるを得なかったということがあります。

●子守唄
 一連の書誌では昭和22年「西日本新聞」となっていますが、西日本新聞の現物を見ると、西日本新聞は新聞用紙の調達が困難となったことから、連載小説を途中で打ち切るまでに追い込まれていて、銭形平次は掲載されていません。実際には新岩手社が発行していた「東北文庫」昭和21年7月号に掲載されていることが現物確認できています。
 東北文庫に掲載された3編は、掲載順で言えば「閉された庭」が東北文庫の創刊号である昭和21年1月号とその翌月の2月号にわたって連載され、ついで3月号に「娘と二千両」、7月号に「子守唄」が掲載されています。
 この頃、文藝春秋社は昭和20年11月にオール讀物をいちど復刊していましたが、わずか3号で休刊し、昭和21年3月には文藝春秋社は解散しました。この3号だけ刊行されたオール讀物には野村胡堂は執筆していません。銭形平次の連載がオール讀物で再開されたのは、文藝春秋新社が設立されオール讀物が二度目の復刊をした昭和21年10月号からのことです。

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